こんにちは、悠さんです。
私は現在、ドッグトレーニングをする際に罰を使うのは否定的な立場ですが、トレーナーになりたての頃は、犬たちに対して不快なことをして行動を変えようとしていました。
今思うと、そのころの犬たちそして飼い主様には「私が間違っていました、ごめんなさい」と言いたい気持ちです。
今月でドッグハウス〜悠〜をオープンしてから丸7年が経ち、振り返りという意味も込めて
今回は私が罰の使用をやめた経緯について、あらためて書いてみようと思います。
■ドッグトレーナーになろう
私がドッグトレーナーを目指そうと思ったのが、今からちょうど12年前、大学4回生になろうかというところで、進路について悩んでいる時期でもありました。
周りは就職活動に活発になりつつある時期で、私もなんとなく流されるように就職説明会に行っては、手応えを感じないまま過ごす日々でした。
何の取り柄もない平凡な学生な上
周りに流され、自分の意思もなく、自分に嘘をついて企業側に志望動機を説明するのはしんどい…
そんな感じでしたね。
特にやりたいこともなく、ぼんやりとテレビを見ていたら「犬が幸せな国 ベルリン」(←タイトルうろ覚えです)という番組がはじまったわけです。
当日飼っていたダックスフンドを膝の上で寝かしながら「へー、こんな世界もあるんだなぁ、なんかのびのびしててええなぁ」と思ってましたね。
そして、男性のドッグトレーナーが、複数の犬を森の中で自由に歩かせている、けれども、お互い意識し合いトレーナーが呼んだら犬は駆けつける。
まっててといえば、その辺の丸太の上で座って待機。
支配と服従って感じてはなく、自由と協調のバランスがすごい。そんな印象。
「俺もドッグトレーナーになってみたい」
色々とドッグトレーナーになるための方法を調べて、ちゃんとした資格が取れる学校(というかほぼ訓練所)に目星をつけた。
そこからは就活を辞めて、学校の単位は夏前に全て終わらす。
トレーナー学校の2年分の費用と一人暮らしのためにある程度の生活費を蓄えておくためにバイトのかけもち。
両親には大学まで行かせてもらったのだから、
これ以降は全て自分の責任で自分で何とかする。
人間、目標ができるとなんでもできるもんだね。
そうして、ドッグトレーナー学校に入学する前に学校の紹介で出会ったのが、のちの相棒となるルークくん(ベルジアンシェバードドッグ タービュレン)
当時は子犬で、そこから私+ルークでのせまいワンルームでの暮らしが始まったのであった。

■トレーニングを開始
さて、犬のトレーニングに関しての知識も特にもたないまま、手探りで
学校で習ったことをルーク君で実践する日々をすごしていました。
甘噛みもしてたし、トイレもその辺でするし、散歩は引っ張るしで大変でしたね笑
社会化は最初こそ頑張っていましたが、1歳前ぐらいからあまり誰とも会わなくなっていたと思います。
私が通っていたスクールでは犬同士はあまり会わさない・遊ばせない方針でしたので、その影響もあるかもしれません。
そうこうして、入学してから数ヶ月した時このような道具を使ってトレーニングするようにと言われます。

スパイクカラーやピンチカラーと呼ばれるものです。
これにリードをつけて引っ張ると、カラーがキュッと閉まり首に痛みを与えることができます。
他の生徒・お客さんほぼ全員使っていました。
「え・・?なにこれ痛そう」というのが率直な感想。
とはいえ、なんとなく上手いこと説明されて、知識のない私もこれを使うようになっていきました。
学校内では、これをつけているのが”当たり前”でしたね。
そしてここから罰を使うトレーニングが始まりました・・・。
初めてルークにこのカラーを装着してショックを与えた時に、ルークは「キャイン!!」と甲高い鳴き声をあげました。
というのも、最初の一発目が肝心ということだったので力を込めてやったからです。
その時のなんともいえない罪悪感。まるで無抵抗の人間を殴るような感覚です。
最初のショックを与える時は勇気が必要でした。なんせまだまだ若くて可愛い愛犬ですから。だから何度も躊躇して、さながら戦争映画で新米兵士が敵を前にして銃を打てない。そんな感じです。
ですが、一発目をやり遂げると不思議なもので次からは平気になるのです。
そう、この辺から罰の使用について躊躇いはなくなっていき、さらに深みへとはまっていくのであった。
そして、次に使い始めたのはこれでした・・
(つづく)
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